2017年12月29日金曜日

縄文時代に食料生産から自立した社会的分業はない

縄文時代史 2

このブログでは縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)の読書メモを掲載していて、この記事は第2回目で、目次「Ⅱ 縄文人の生活と生業」を学習します。

1 余剰と分業
この図書では翡翠製品の生産と全国流通、黒曜石の大規模採掘、「水産加工場」、粘土大規模採掘などの例を挙げて、それらの生産に従事した集団が余剰生産物を交換財に使っていたにもかかわらず、全ての事例で基本的な生業活動(食糧生産活動)を行っていたことを述べています。
例えば翡翠製品生産遺跡でも、狩猟・植物採集・漁労活動をおこなっていたことが出土遺物から確認できるとしています。

翡翠原産地と出土地
縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用

大規模な生産遺跡
縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用

生産遺跡の規模がいかに大きいものであっても縄文時代の分業は自然的分業であり食糧生産から自立していないことを従事集団の居住地出土物から論じています。
弥生時代以降になると恒常的な余剰生産物を背景に、分業が食糧生産から自立して、生産者がお互いに異なった生産部門や職業に専門化して生産するようになるとしています。

この議論の中で商いを専業とする「商人」とか「商人グループ」とよばれる交易専業集団の存在を否定しています。

2 検討
翡翠、黒曜石、水産加工品、粘土などの生産で生まれた余剰は交易品となったのですが、その余剰を背景にした社会的分業は無かったことをこの図書から学習できました。
つまり縄文時代には基本的食糧生産から分離した専門集団の存在は一般論としてはなかったということです。
さて、この学習の中で次の点について自分の中でイメージが出来ませんのでメモしておきます。

● 余剰を前提として生産していた集団の基本的食糧生産の取り組みはどのようなものであったのか?
翡翠、黒曜石、水産加工品、粘土などの生産をしていた集団は余剰を前提に、つまり交易品製造を前提に生活していたのですが、その集団の基本的食糧生産の取り組みの姿勢が次のどれであるのか興味を覚えます。

姿勢A
・基本的食糧生産(狩猟・植物採集・漁労活動)は置かれた環境のなかで可能な限り100%行う。つまり可能な限り自給的食糧生産活動を目指す。
・自給的食糧生産活動である品目で余剰生産物が生まれた場合に、それを交易品として利用し、自らの自給的食糧生産活動で不足する品目分を補う。

姿勢B
・自らが消費する分以上に余剰生産が可能な品目がある場合、つまり価値のある交易品をつくる条件がある場合それを最優先し、他の基本的自給的食糧生産活動の優先順位は下位に置く。
・価値ある交易品をつかって食糧を入手する。
・交易品による入手では不足すると想定される食糧や品は自給的に生産する。

例えば、中里貝塚でマガキの養殖までして大粒の牡蠣の加工品をつくり、交易品としたようですが、その集団の生活姿勢は次のAであったのか、それともBであったのかという疑問です。

姿勢A
置かれた自然環境のなかで自給生活に必要な狩猟・植物採集・漁労活動は可能な限り満遍なく行う。
・漁労活動では余剰生産が生まれるので、余剰生産分を交易品として使い、自給生活で不足する品目を補う。

姿勢B
・漁労活動では余剰生産を生み出すことができるので、その活動の優先順位を狩猟・植物採集より上に置き、交易品づくりを最優先させる。
・交易活動により生活に必要な食糧や品を入手する。
・交易で入手する食糧や品では不足する分を補うために狩猟・植物採集を行う。

この疑問は集団(社会)の空間的範囲をどのように設定するのかという問題に変換できるのかもしれません。

例えば、単体の貝塚集落は姿勢Bであるけれども、その貝塚集落と内陸域集落で構成される広域社会(村?)では姿勢Aであるということかもしれません。

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