2018年1月16日火曜日

縄文の思想 瀬川拓郎 2017 序章縄文はなぜ・どのように生き残ったか

縄文の思想 1

1 はじめに
この図書は先月書店の新刊書棚で偶然見つけて購入しました。

縄文の思想 瀬川拓郎 2017 講談社現代新書

著者の図書はこれまで何冊か読んでいて、自分の初耳となる最新情報を獲得できていて、この最新刊図書も以前読んだ図書と同様にとても興味深い目次となっていて期待がふくらみます。

縄文の思想(瀬川拓郎 2017 講談社現代新書)主要目次
はじめに
序章 縄文はなぜ・どのように生き残ったか
第一章 海民と縄文-弥生化のなかの縄文
第二章 海民とアイヌ-日本列島の縄文ネットワーク
第三章 神話と伝説-残存する縄文の世界観
第四章 縄文の思想-農耕民化・商品経済・国家のなかの縄文
おわりに
引用文献

2 「序章 縄文はなぜ・どのように生き残ったか」
序章ではこの図書のあらましと構成をまとめていますので、その要点を抜粋しておきます。

●あらまし
・紀元前10世紀後半に朝鮮半島から水稲耕作の文化が九州北部に伝わった。この弥生文化は西から東へ拡大して北海道と南島を除く日本列島で受容された。
・各地の縄文人が弥生文化を受容した。弥生時代中期(紀元前4世紀~紀元前後)までに縄文文化の多くは姿を消した。
・しかし北海道と南島・各地の海辺の人々は弥生農耕文化を積極的には受容しなかった。
・弥生時代に縄文伝統の漁猟を深化し特化していった海辺の人々を「海民(かいみん)」とよぶことにする。
・海民は玉・塩の生産、南島産貝製品流通など、あるいは各地の狩猟や古墳時代以降のウシ・ウマの飼育などの生業にも従事し、生業のマルチカルチャー性が特質であった。
・弥生時代の北海道、南島、各地の海辺の人々は狩猟漁撈や手工業生産への特化を通じて農耕民と交易し、かれらとの間で補完的な分業体制を構築した。
・縄文的な生業の継承はその暮らしを精神的に支える縄文の思想の継承を不可欠とし、イレズミや抜歯習俗や縄文の世界観・他界観とどめた。

●図書の構成
第一章 海民と縄文-弥生化のなかの縄文
・弥生時代を迎え日本列島の海辺の人々が縄文性をとどめる専業的な海民となったことを述べる。

第二章 海民とアイヌ-日本列島の縄文ネットワーク
・弥生~古墳時代の海民と北海道アイヌの祖先集団との交流、つまり農耕民とは異なる世界で展開した日本列島縄文ネットワークの実態をみる。

第三章 神話と伝説-残存する縄文の世界観
・縄文性をとどめたがいに交流していた本州の海民、アイヌ、南島の人々とのあいだに、共通する神話・伝説があることを指摘する。

第四章 縄文の思想-農耕民化・商品経済・国家のなかの縄文
・縄文の世界観・他界観を共有していた周縁の人々に注目し、かれらの共通する生き方のなかに、その生を律した縄文の思想を読み解く。

3 感想
弥生時代から縄文時代を眺めることによって、倭人の歴史文化と縄文文化を連続してとらえることができますから、大変魅力的な図書です。
序章にでてくる具体事例は自分の初耳であるものも多く、これからの読書に期待が膨らみます。
柳田國男や折口信夫の世界と発掘科学である縄文考古学とが連結していくのですから興味津々です。
千葉県古代海洋民の海人(アマ)や千葉県南部に分布する海岸洞穴遺跡群などの情報(知識)も弥生時代縄文ネットワークの視点から捉えると宝の山になることが直観できます。

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