2018年1月18日木曜日

海民と縄文

縄文の思想 2

この記事は「縄文の思想」(瀬川拓郎 2017 講談社現代新書)の「第1章 海民と縄文-弥生化のなかの縄文」の感想メモです。

1 「第1章 海民と縄文-弥生化のなかの縄文」で特に気になった事項
「第1章 海民と縄文-弥生化のなかの縄文」では現在まで残る縄文習俗として抜歯やイレズミあるいはアイヌ語地名などについて紹介しています。
また、弥生時代になると高度な縄文伝統漁猟文化を導入しながら専業的な海洋適応の暮らしを構築していった海辺の人々つまり海民が誕生して列島各地の遠隔地交流も担ったことが述べられています。
どの記述も興味深いものばかりですが、特に次の2点について注目しました。
ア 九州北部で弥生文化が成立した弥生時代早期から前期に、東北地方の縄文人が九州へ進出していった事実。(九州北部各地からの亀ヶ岡系土器出土で確認できる。)
イ 東北北部方言と出雲方言は「ズーズー弁」として強い関係を示すが、その理由として海上交通による移住が考えられるという説の紹介。

基礎語彙からみた各地方言の関係
「縄文の思想」(瀬川拓郎 2017 講談社現代新書)から引用

ア、イともに弥生時代の初め頃東北縄文人が列島の西に向かって進出したという情報です。私はこのような情報に初めて接し驚きました。
これまで列島の縄文人は弥生時代になると西から徐々に追い詰められ消滅していくパターンだけしか頭に描いてきていません。

2 私の問題意識との関連性
例えば私の次の2つの既存問題意識(興味)の検討方向がこの読書により根本的に変わりそうです。

2-1 地名メナ

メナの分布
ブログ「花見川流域を歩く」2016.06.02記事「千葉県のアイヌ語地名「メナ」

千葉県におけるメナの分布
ブログ「花見川流域を歩く」2016.06.02記事「千葉県のアイヌ語地名「メナ」

千葉県におけるアイヌ語地名メナについて、東北・北海道の分布から孤絶していて、その理由をこの場所だけ縄文時代縄文人集落が奇跡的に残存したと予想していました。
しかし、今後は弥生時代に東北・北海道から縄文人が千葉県にやってきたという状況を検討する必要に迫られます。

2-2 海人(あま)の活動

海人(あま)の活動領域(想像)
ブログ「花見川流域を歩く」2016.05.22記事「古代地名「イラ」の追考

海人(あま)の活動は全て西から東に向かう趨勢を大前提に思考してきました。しかし、海人(あま)が東北・北海道からやってきた可能性も検討する必要があることを認識しました。
倭人の入植活動が西から東への方向は間違いないですが、海人(あま)の出自が東北・北海道である可能性も検討する必要があります。

第1章で大きな刺激を受けました。

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