2018年3月2日金曜日

猪と蛇の対峙 その2

猪の文化史考古編 5

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ①深鉢形土器の猪」の第2回目学習をします。
学習といっても土器写真の文様を理解するという視覚的確認作業(=写真の観賞)です。
なお図書の写真はモノクロですが自分が理解しやすい(認識しやすい)画像とするためにわざと任意の色を着色しました。情報量は同じだと思いますが自分にとってとても理解しやすい(認識しやすい)画像となりました。
着色はスキャンしたモノクロ画像をPhotoshopに取り込みカラーレイヤーを被せ、そのカラーレイヤーを「焼き込みカラー」としました。またモノクロ画像はトーンカーブ補正で色を薄くしました。

1 写真と図書による説明

写真10 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
右写真 胴部に「平らな吻端」と「半円筒」の造形が縦についていて猪を表す。「双環突起」(目玉のような大きな環)と猪両側の腕のような表現は一体で蛙の目玉と両足を表現していると考えられている。
左写真 胴部に蛇が描かれている。土器の両側で猪と蛇が対峙している。
猪と蛇が蛙の背中から生れている様子を表現していると考えられている。

写真11 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
胴部の顔は出産シーンを表していて、蛙の背中から生れ出てくる新しい命の顔を表現していると考えられている。
蛙は月の象徴であることから、生れ出る命は月の子どもであり、それを生み出す土器は母なる月の神「月母神」とされる。

写真12 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
目鼻の表現のない顔面把手付土器で、胴部に猪と蛇が対峙して表現されている。「双環突起」はない。猪の両側の曲線は蛙の手を表現していると考えられる。

写真13 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
目鼻の表現のない顔面把手付土器で、胴部に猪と蛇が対峙して表現されている。「双環突起」がある。猪の両側に蛙の手が表現されている。
写真11、12、13は同じ思想のもとに製作された造形であることが理解できる。

口縁部で猪と蛇が対峙する土器が胴体が一旦くびれて口縁で大きく広がる「鉢形」である(2018.02.28記事「猪と蛇の対峙」参照)のに対して、胴部で猪と蛇が対峙する土器は樽型であることの違いは重要であると考えられる。
器形と文様とを含めある種の物語り性にもとづいた流れがあるようにも思われる。

その流れとは、女神の身体から生れた猪と蛇が、土器を這い上がり、やがて土器の縁にたどりつくという道程である。

写真14 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪が「双環突起」の上に連なる。

写真15 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪の吻端を取り巻くように蛇が重なっている。

写真16 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪と蛇が重なる造形の把手が大小2つ付いている。

写真17 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
顔面全体は真ん丸でその中に丸い目がついていて、この造形は猪が基本になっているように思われる。本来は猪であったとみなし「人面猪」といった表現であると考える。この「人面猪」の上に蛇がつく。

猪と蛇が女神(蛙)の胴体から生れ、這い上がりつつ口縁にたどり着き、土器を挟んで対峙し、最終的に「人面猪」に蛇が乗り土器の内部を眺めることによりさらなる食べ物が出現する、そんな祈りにもつうずる物語が語れていたのではないか。

2 感想
土器の造形・文様の意味を専門家がどのように捉えているか初めて知り、感動しました。土器から類推される縄文神話についてもっと詳しく知りたくなりました。
また千葉県からこのような土器は出ていませんが何故なのか?とかこのような重厚な土器がつくられた背景(飢餓の恐れがあったからなど)を知りたくなりました。





0 件のコメント:

コメントを投稿