2018年4月30日月曜日

焼かれた猪

猪の文化史考古編 14

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第2章猪の埋葬、そして祈り 2焼かれた猪」の学習をします。

1 焼かれた猪
昭和55年発掘八ヶ岳南麓山梨県大泉村(現在北杜市大泉町)金生遺跡の猪下顎骨出土例が説明されています。

猪下顎骨(山梨県金生遺跡)
土坑から138個体の猪下顎骨が発見され、全て焼かれていて、1歳未満の幼獣は115個体でその死亡推定季節は秋ということが分かっています。
図書では子供の猪だけを選んでさらに下顎だけを選んで焼いて穴に埋めたことは縄文人が執り行った「祭り」の存在、すなわち「祈りの世界での出来事」があったことを推定しています。
さらに獣骨が焼かれ集落全体に撒かれる事例が多いことから、アイヌの「物送り」と共通した祈りがあったものと考え、食べ物をもたらしてくれる動物に対しての感謝を込めた鎮魂と再生の祭を想定しています。食物などの有益の残りの骨を火によって新たな命を吹き込み、細かく砕いて土に返し、それらの骨細片は再び有益な猪や鹿となって蘇ってくるという思想を想定しています。
金生遺跡の猪幼獣下顎骨もそのような祈りを経たものかもしれないと述べています。
さらにそれらの猪幼獣は犠牲獣である可能性を論じています。つまり豊猟を目的として動物を神様にささげたのではないかと推定しています。

2 感想
猪幼獣の首の下顎だけ焼かれて出土していることは胴体は別に扱われたということです。
幼獣の首と胴体の出土状況が分かれるという点でこれまで学習してきている西根遺跡の例と同一であり、縄文時代に共通する祭祀をイメージできると考えました。

西根遺跡出土焼骨(幼獣が主であり、頭骨がほとんどない)西根遺跡発掘調査報告書から引用
祈りの空間 戸神川谷津の隠された秘密にせまる -西根遺跡 縄文~近世の自分流学習-」参照

2018年4月29日日曜日

埋葬された猪

猪の文化史考古編 13

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第2章猪の埋葬、そして祈り 1埋葬された猪」の学習をします。

1 埋葬された猪
宮城県田柄貝塚から子供の猪の埋葬が検出されています。

宮城県田柄貝塚 子供の猪の埋葬 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
後期後葉に猪(ウリボウ)が人の墓域近くに埋葬され、その近くには多数の犬も埋葬されています。人と犬の関係と類似の関係が人とウリボウの間に存在していて、ウリボウは当然ながら飼育されていたと考えられます。

犬と人が近くの場所に埋葬されている例も紹介されています。

宮城県前浜貝塚 人と犬の埋葬 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
若い女性が出産の際に命を落としたケースと考えられ、女性と新生児と犬が寄り添って埋葬されています。
犬は人の死に合わせた死で犠牲獣と考えるのが自然であると説明されています。

次の例は人・犬・猪の埋葬例です。

千葉県白井大宮台貝塚 人・犬・猪の埋葬 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
人と犬は穴の底に同時に埋葬され、その後ある程度の埋戻しがあり、さらに送り場として利用されて貝層堆積があり、その後猪(幼獣)の埋葬があった例として紹介されています。

2 感想
縄文時代には猪が食用のために飼育されていたけれども、幼獣(ウリボウ)は人なつこいため人と犬との関係に似た関係が人とウリボウの間に存在していたようです。そのためウリボウを可愛がっていた人が死ぬとそのウリボウを犠牲獣として人の近くに埋葬して死んだ人に対する供養としたようです。

3 参考
大膳野南貝塚の学習をしていますが、次のような犬用廃屋墓に後に人が埋葬された例があり驚いたことを思い出しました。

大膳野南貝塚後期集落 J9竪穴住居出土2号犬骨 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J9号竪穴住居 人骨と犬骨の土層断面模式位置
この例では廃絶竪穴住居が最初にそのまま犬用廃屋墓になり、その後その場所が送り場となり、その途中で新生児の埋葬が行われました。
この例から人と犬との関わりは極めて強く、廃絶竪穴住居が犬専用の墓として使われることがあると知ることができます。
またその場所が「犬と関わる送り場」であり、死産や新生児死亡に際して埋葬場所としてふさわしく、実際にそのように利用されたということがわかります。
人の幼児や犬を同様に扱うという気持ちが縄文人に存在していたのだと思います。
ブログ花見川流域を歩く2017.12.18記事「犬用廃屋墓」参照

2018年4月11日水曜日

後期の土器に付く猪

猪の文化史考古編 12

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (4)後期の土器に付く猪」の学習をします。
学習といっても土器スケッチ・写真の図像を理解するという視覚的確認作業(=スケッチ・写真の観賞)です。

1 後期の土器に付く猪

青森県韮窪遺跡出土狩猟文土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
図書では様々な解釈をしていますが最後に次のように解釈しています。
先にも書いたように狩猟文土器のシーンは、実際の出来事を土器に表現したものと思われる。
その出来事とは動物を用いた儀式であり、その際に用いた動物が猪および熊であった可能性はあろう。近代アイヌに伝わる熊祭りの思想は「物送り」に基づく一つの儀式でもあるが、そこには動物への鎮魂と豊猟祈願があったと考えられる。この「物送り」の考えが歴史的にどこまで遡ることができるかは大きな課題であるが、少なくとも猟により捕獲され食料となった動物そのものに対する儀式ということになる。
一方、犠牲獣という考え方もできる。この場合祈りの対象は別にあり、その願いを成就するために動物をささげるということになる。
狩猟文土器に描かれた意味が、狩猟のシーンなのか、物送りの儀式なのか、さらには犠牲獣を必要とした祭りなのかは定かでない。
狩猟シーンや物送りであるならば、その時に対象となった動物であり、犠牲獣ならばやはり祭りの内容によって動物の種類が決まることになろう。狩猟文土器及び動物形内蔵土器の動物は、その時々によって変わってもよいのかもしれない。それが熊であっても猪であっても良いということになる。」「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用


動物形内蔵土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
土器内部の底に動物形が付いている土器とその部分だけの土器片のスケッチです。狩猟に関わる祭祀ツールであったと考えられます。

猪を模した注口土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
蓋部分が猪の上顎になり、牙が表現されています。オス猪です。

玉のついて注口土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
図書では2つの瘤が睾丸をイメージし、オス猪をイメージした注口土器で、酒を入れて注ぐ祭具であるとしています。

2 感想
青森県韮窪遺跡出土狩猟文土器は実際の狩猟シーン、物送り儀式のシーン、犠牲獣による祭のシーンの3通りの解釈があり得ると述べています。
この中で物送り儀式シーンの描写である可能性に興味が魅かれます。というのはこれまで学習してきている西根遺跡でイノシシを使ったイオマンテ類似活動を想定しているからです。西根遺跡からは多量のイノシシ・シカの焼骨と飾り弓が出土しています。イノシシ・シカの焼骨は幼獣のものが多く、かつ頭骨がほとんどありません。

参考 祈りの空間 戸神川谷津の隠された秘密にせまる -西根遺跡 縄文~近世の自分流学習-

2018年4月10日火曜日

猪形土製品の役割

猪の文化史考古編 11

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (3)猪形土製品の世界 ②抽象化された猪」と「同 ③猪形土製品の役割とは?」の学習をします。

1 猪形土製品の種類と変遷
猪らしい表現を抜き出してみると
1 突出した吻端(鼻先)と鼻孔
2 たてがみ
3 ずんぐりしとした体形
このような特徴を判断基準として表現のリアルさを分類して時代順にならべた図を掲載しています。

猪形土製品の種類と変遷 猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
Aが最もリアル、Dが最も強調・デフォルメされたものです。
この図書ではDについても猪であることの説明が丁寧に書かれています。

2 猪形土製品の役割
この図書では猪形土製品に関する研究者の考えを多数紹介して、それらをまとめる形でつぎのように猪形土製品の役割を記述しています。
今回整理した猪の製品が作られた時期や地域、それにいくつかに分類できるタイプの継続性などを考えてみると、猪形はやはり動物祭祀にかかわった土製品と考えてよさそうである。
食料としても欠かすことのできない動物であることに加え、縄文神話にも登場するような大切な動物である猪、それにかかわった祈りの「道具」が猪形土製品であったと考えたい。
先にみたように、縄文中期の人々は土器の表面に猪を登場させた。中期縄文人にとって猪は、豊かな生活をもたらしてくれる神話世界の重要なキャストであったからに他ならない。猪形土製品が広まる後期という時期には、その物語りを土器に描く方法はすでに廃れてしまっていた。そのかわりを猪の土製品が務めたとするには、あまりにも出土例が少なくまた派手さもない。しかし後期、晩期の縄文人にとっても猪はやはり重要な祭祀を受け持っていたことは間違いないと思われる。それは次の項目でふれるが、後期や晩期には「猪そのもの」を用いた祭りが行なわれていたことが、頭や下顎の骨が特殊な状態で出土することから確認できるからである。
豊猟を願う祈りに、そして豊猟をもたらしてくれた感謝の祭りに、これら猪形土製品が用いられたのではないか。そして時には、豊穣の女神である土偶に対する祈りとともに、猪の土製品にも同じ願いが込められたこともあったのであろう。しかし、土偶にくらべ出土数は圧倒的に少ない。やはり実際の猪そのものを用いた祭祀が主体であり、猪形土製品はそれに付属した形で用いられたことが原因なのかもしれない。」(新津健 2011 雄山閣)から引用

3 感想
猪形土製品は狩猟対象(食糧)である猪豊猟を祈願する祭祀で使われた道具(祭具)であり、猪現物に代わって、あるいは猪現物と一緒に使って祭祀効果をより一層増大させるために用いられた価値の大きな祈願ツール(土偶類似ツール)として考えてよさそうです。

2018年4月2日月曜日

上谷遺跡動物形土製品

猪の文化史考古編 10

2018.03.16記事「リアル猪形土製品 その2」で上谷遺跡出土リアル猪形土製品が図書に掲載されていることを紹介しました。
上谷遺跡は時代はこれまでのところ奈良平安時代ですが私の学習フィールドであり、強くこだわりをもちますので、その土製品の記述を発掘調査報告書で確認してみました。
写真掲載を期待していたのですが、それはありませんでした。

1 上谷遺跡出土動物形土製品の記述
上谷遺跡発掘調査報告書第5分冊の最終節に「上谷遺跡出土の土偶・動物形土製品・土製品」(越川欣和)という署名つきページがあり、その中で動物形土製品が報告されています。

上谷遺跡出土の土偶・動物形土製品・土製品 発掘調査報告書第5分冊から引用 加筆
「上谷遺跡から動物形土製品1点、土偶3点、土製品・粘土塊数点、いずれも遺物包含層から出土している。」
「9はK8-36-2グリッドより出土した。イノシシ形である。頭部は突出する。左目のみ刺突、耳は粘土の貼付で表現され、口・鼻は表現されていない。背はつままれており、後部では右側に曲がる。背に細い穿孔がある。尾は粘土をつまんで表している。四足は短い。土製品の表面には調整のあとがある。文様はない。残存状況良好で、ほぼ全体が残る。長さ36.5㎜、高さ23㎜、幅21㎜、重さ13g。製作時期は伴出土器と動物形土製品の類例が縄文時代中期にみられることから、五領ヶ台式期のものであろう。」
「上谷遺跡の動物形土製品の製作時期は縄文時代中期初頭であり、出現期の資料の一つである。中期の動物形土製品は、丁寧な製作技法・無文・写実的形態という共通性があり、動物形土製品の形態からも一つのタイプとして考えられるであろう。また出土状況・残存状況にも共通性が確認された。この結果、動物形土製品の出現期の縄文時代中期の特徴が明らかにされた。」

2 出土位置の確認

動物形土製品出土位置

動物形土製品出土位置
赤表示は縄文時代遺構
動物形土製品出土位置は台地縁辺部であり、近くの縄文時代中期遺構は土坑がいくつか確認されます。竪穴住居からは離れた場所です。
谷底が見下ろせる風景が開けた場所の遺物包含層から出土したことから、そのような野外でイノシシをテーマにした何らかの祭祀が行われたのかもしれないと空想します。